♪ブーゲンビリア第102号(通巻169号)2013年6月号より

 水無月です。どんよりとたれこめる梅雨空を見上げる回数も多くなるのではないでしょうか。雨のあい間に少し明るく感じられる梅雨明かりの光にホットしますね。

日本は水に、雨に恵まれた美しい国です。先人たちは水を大切にし、水文化を育てて、生活に活用してきました。日本中の故郷の山河に降り注いだ雨は、一滴の清い水、一滴の尊い水滴となって流れ出し、数年かけて地中を通り、再び山麓から湧き出た美味しい水を育んでいる大自然のリズムの確かさに感動します。その水は貴重な水生植物や生き物を育み、里山を下り田畑を潤し、稲を育て、美味しいお米をとなって私たちにいのちを与えてくれるのですね。いのちのバトン自然の恵みにあらためて感謝です。

梅雨の季節にあうタイトルにひかれて半村良著の「雨やどり」を十数年ぶりに開いてみました。「愛」は人生や文学にとって根源的な人類の永遠、不滅のテーマですね。

愛には様々な様相や段階がありますが、もう男女の愛に向かい合う気力も体力も通り過ぎたような気がして、後半の人生におけるテーマ、「愛や旬」を探しながら、夫の古い本棚の中から雨のキーワードで自分の心にひっかかる本を探してみました。

アラン著の「幸福論」を開いてみました。「・・略・・・小雨が降っている。またいやな雨だ! などと言った所で、なんの役に立つか。雨だれも、雲も、風も、どうにもなりやしない。ああ、けっこうなおしめりだ! と、なぜ言わないのか。こう言ったとて、雨だれはどうにもならぬというのか。なるほど。そのとおりだ。しかし、それは君自身にとって有益なのである。君の体全体がふるい立って、ほんとうに暖まるだろう。ほんのちよっとした喜びの衝動でもこういう効果があるのだ。そうすれば雨にあたっても風邪をひかないですむ・・・・・略・・・・」

かび臭い本のページから、近頃めっきり老いてきた夫のみずみずしい青春が飛び出してくるような甘酸っぱさを感じました。

生きるということに困難はつきものと言われていますが、でも厳冬もやがて春を迎えます。また、人はそれぞれの生涯をもっていて「自分の生命は、自分のものであるようで、自分のものではない! 不思議なもので、自分を超えた天地自然の理にかなっていて人間は、自分の自由になるものなんか何も持っていない! 人生は自分のものではない。」と、先人たちが教えてくれています。迷った時に、病が思うように治らない時に、再発がんとの道連れにこころ細さを感じた時に、ゆくべき道を照らしてくれるのは自然のふところであり、本や音楽でもあり、また、わたしたちの小さな行動なのかもしれませんね。

「喜べば、喜びごとが喜んで、喜びもって喜びにくる」ゆっくりと流れる時の中でふくらむ人との絆、人と人のほっこりとする日常の交わりをブーゲンビリアでは何より大切にしています。あなたの「笑顔を・悩みを・涙を・辛さを」安心して持ってきてください。