♪ブーゲンビリア第100号(通巻167号)2013年4月号より

 「春風以って 人に接し 秋霜以って 自ら粛む」儒教の佐藤一斎先生の教えにあるように、人をやさしく包み込む春風に誘われて冬眠から抜けだし散歩をしました。

 足をのばしてみると、芽吹き、若葉、花々、木々等のいのちの躍動感に満ちた春の景色をながめ、ふれて、自然に包まれ、いやされ、元気の充電ができたように感じました。人間が生きることというのは「希望と小さな喜びに満ちたものを探す旅」なのかも知れませんね。会員の皆様は、今春いくつの「希望と小さな喜びに満ちたもの」と出会いましたか。自然からの贈り物に気がつきましたか。

 「うらうらに 照れる春日に ひばりあがり こころかなしも ひとりしおもへば」春になると万葉の時代のこの歌を春の景色の中でそっと詠んでみたくなります。

 のどかな春のやわらかな陽射しの中元気よく空高く舞い上がる生命力あふれるひばりの姿。「悠久の生命」をとの願いも届かず、幾つかの四季が過ぎやがては老いて飛べなくなる日が来る・・・天地万物への切ない「いとしさ、無力感」を感じる年となりました。

 「老いてゆく人生の切なさ、失われていくものへのいとしさ、あまりに短い人生の時間、悲しい別れ、無力感等」をかみしめながら・・・・でも、「苦しみ悲しみを乗り越えてこそ、味わえる深い喜びは人生を力強く歩む、糧となる」との先人たちの知恵を信じて、背筋をぴんと伸ばして「希望と喜びに満ちたもの」を探しに歩いていきたいと思います。

 「花は桜木、人は武士」の潔さや美しさにひかれるのは日本人のもつ美意識でしょうか。桜を御神木と仰ぎ、桜に宿る神霊を尊んだ古人のDNAが今でも脈々と私たち日本人に受けつがれているからかもしれませんね。桜はやっぱり日本人にとっても、がん患者にとっても特別な花といえるのではないでしょうか。

 いつの時代にも言葉に出せない悲しみを背負った人たちの精神性や生き方に、こころを寄せてみると輝くいのちの鼓動を感じます。人間と自然、人間にもひとりひとりの「いのちのかがやき」があり、草にも花にも、木々にも、山にも川にも、風にもすべて「いのち」があり、そのいのちが輝いています。だからこそ、こんなに尊く美しいのでしょう。

  桜花 ときは過ぎねど 見る人の 恋のさかりと 今散るらん   柿本人麻呂
  世中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし 在原業平
  たぐひなき 花をし枝に 咲かすれば 桜に並ぶ 木ぞなかりける 西行
  うらうらと のどけき春の 心より にほい出でたる 山桜    賀茂真淵

 万葉歌人の歌を声を出して詠んでみると、葉桜、山桜、八重桜、新緑の光景とともに華やかな春色に染まるような気分になれるかもしれません。病に伏している会員の皆様是非お試しくださいね。きっと、「いのちの輝き」の鼓動がとどくことでしょう。