♪ブーゲンビリア第106号(通巻173号)2013年10月号より

 暑さもやわらぎ散歩や旅行など外を出歩くのに気持ちのよい季節になりました。 抜けるような秋空に誘われて、夫と久しぶりに散歩しました。夫の「ねえ~君、白い彼岸花ってみたことある?」の声かけに、散歩が大好きな我が家の美犬の誉れ高き6歳の娘と連れ立って、遠回りしながらゆっくり歩いてみると初秋のさわやかな風がほほをなでていきます。

 夫に、ねえ「空に昇った彼岸花」の話知っている・・・「なあに、童話・・・」夫ののんびりした言葉を受けて、「聞いて・・・」と、風に吹かれながらゆっくりと話しはじめました。

 ブーゲンビリア数年前に主催したシンポジウム「よく死ぬことは よく生きること」の中で、私は、鼻をすすりながら「いのちといやし・空に昇った彼岸花」の朗読させていただいたことがありました。皆様にもご披露させていただきますね。

 「ある年の7月、10歳の少年のいのちの灯が消え、ひとつの魂が生まれました。 短いいのちから生まれた小さな魂でした。その小さな魂は、母が恋しくて、神にもう一度だけ母に会わせてほしいと頼みました・・・・・」これはある母親が書いた短編童話の出だしの部分です。

 1998年に和歌山県で起きた「毒物カレー事件」のことです。楽しいはずの夏祭りが惨劇の修羅場と化し、4人の犠牲者と13人の患者を出した恐ろしい事件でした。そのときの犠牲者の一人が「小学4年生だった 林 大貴君」です。

 目の中に入れても痛くないほど愛しいわが子を奪われ、母親の有加さんはショックで寝込んでしまいました。こころの痛手が癒されないまま過ごしていたある時、ラジオ局が短編童話を募集していることを知ったのです。

「大貴を心配させないためにも、何かをはじめなくては・・・・」そう思って、有加さんは童話を作り、応募してみました。

 元気いっぱいだった大貴君は、夏祭りで大好物のカレーを食べたあと吐き気を催し、 病院の集中治療室へ運ばれました。硬直して冷たくなっていく体を、両親は夜明けまでさすり続けましたが、生き返ることはありませんでした。生き物が好きな大貴君は、トカゲやオタマジャクシを見つけては、つかまえて母親に見せたそうです。毎年秋には、彼岸花を摘んでみせました(東京新聞、平成10年10月22日)。

 有加さんが書いた「彼岸花」と題する童話です。

 空に昇った彼岸花

 「ある年の7月、10歳の少年のいのちの灯が消え、一つの魂が生まれました。  短いいのちから生まれた小さな、ちいさな魂でした。その小さな魂は、母が恋しくて、神にもう一度だけ母に会わせてほしいと頼みました・・・・神は、その純真無垢な魂を不憫に思い、願いを聞き入れてくれました。そして、神はこう言いました。

『一日だけ、おまえを人間界に戻してあげよう。ただし、人間の姿ではもどれない。 母がおまえの姿を見つけ、母の声を聞くことが出来たなら、いつか再び、親子として人間界に生まれてくることを許そう。しかし、母の声を聞くことが出来なかった時には、魂は、消えてなくなってしまうが、それでもよいか?』 小さな魂は、9月半ば、母との思い出深い彼岸花の姿を借りて、母の住む家の近くの土手に、ひっそりと咲きました。

 なつかしい家の窓には、悲しげに外を眺める母の姿がありました。

 精一杯、健気に咲く一本の赤い彼岸花が目にとまったのでしょう。しばらくすると、母は引き寄せられるかのように、ゆっくりと土手の方に近づいてきました。そして、母は「彼岸花の季節になったのね・・・・。ひろくんは、いつも、お母さんのために、このお花を摘んできてくれたのよね。ありがとう」 母の目から涙がこぼれ落ち、声にならない声をふりしぼって言いました。

『ひろくん、お帰りなさい』そう言って花をやさしく手で包み込みました。なつかしい母の声とぬくもりでした。
 その母のやさしい声を聞くことが出来た瞬間、<おかあさん ただいま! いつかまた、きっと、お母さんの子どもに生まれてくるからね。ありがとう、お母さん!>

 彼岸花は、母の言葉と、いく粒もの涙を花びらで受けとめ、ひとすじの光となり、空に昇っていきました。母は、空を見上げ、いつまでも祈りつづけました」

 この短編童話を目にして、幼くして逝ったわが子への深い哀惜と、癒されない心の傷を必死で癒そうとする母親の姿に触れて、胸が熱くなりました。と同時に、日本人が心の深層に持ち続けている「いのち」への思いを、この童話は伝えていることに気づきました。

 それは、生命のはかなさを知りつつ、個の生命が尽きても「いのち」の世界に帰って再びよみがえることを信じて願う心にほかなりません。死んでしまえば人は無になってしまう、などと考える日本人など、大昔からだれもいませんでした。「いつかまた、きっとお母さんの子どもに生まれてくるからね」と、彼岸花に化生した小さな魂も叫んでいます。

 それは真実の心の叫びではないでしょうか。

 死は生の節目。死ぬことで、次の生がもたらせるのです。個の生命は有限でも「いのち」は、永遠であると信じ、そう願うことで生きる活力を得、さまざまな習俗や文化が築かれてきたのが日本です。そうした奥深い心情は、林有加さんのような悲痛な経験をしてこそ発露してくるものの、多くの人々の日常生活では覆い隠されしまっているのではないでしょうか。現代人に心の「いやし」が必要とされる一つの大きな原因が、そのあたりにあるのではないかと思われてなりません。

          著「いのちといやし」より 丸山敏秋

 夫が植えた数本の真っ赤な彼岸花が、今年も風にそよいで秋を告げてくれました。 誰でもが懐かしく胸がキュンとなる美しい秋の夕暮の光景・・・日常生活に忙殺されて忘れていた光景を彼岸花が思い出させてくれました。

 土手に映える秋の彼岸花・・・。夕焼けこやけもう夕方、うすぐれに夕間暮れ、そんな言葉に誰もが懐かし遠い日の記憶が初秋の風とともに特別な感情を運んできてくれます。

 夕方が近づいてくると何だか急にそわそわし、昼とも夜ともつかないうすぐれが訪れて、「ごはんよ~のお母さんの声に」子供たちは蜘蛛の子をちらすように自宅へ帰る・・・。

 その記憶はいつも、鼻をくすぐる金木犀の香りと、長いながい自分の影を踏む秋の夕暮だったように思います。夕間暮れ、胸騒ぎが起こるそれらの時間がいっせいに黄金色に輝きはじめる秋が、今年も忘れず訪れてきてくれました・・・。

 
 先日の初秋の京都で出会った「新古今和歌集」の秋の哀愁あふれる三夕の和歌、秋の夕暮を結びとした、しみじみとした日本の秋の歌をお届けします。

 さびしさは その色としも なかりけり 真木たつ山の 秋の夕暮
  (寂連法師)

 こころなき 身にも哀は しられけり しぎたつ沢の 秋の夕暮 
  (西行法師)

 見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦のとやまの 秋の夕暮
  (藤原定家)

 文学の秋、芸術の秋にも心惹かれますが、栗・お芋・梨・ぶどう・柿・さんまの塩焼き・土瓶蒸し・栗ごはん・秋の吹き寄せごはん、など等、わたしはとりあえず食欲の秋からスタートしたいと思います。みなさんはどんな秋を過ごされますでしょうか。