絵子の縁側便り 9月号

2023年9月
内田 絵子

「葉見ず花見ずの不思議な彼岸花」別名「曼珠沙華」ともいいますが、サンスクリット語で天界に咲くという意味で、おめでたい事が起こる兆しに真っ赤な花が天から降ってくると伝えられています。白い彼岸花の花言葉は「また会う日を楽しみに」だそうです。

暑さで霞んでいた大気もいつの間にか澄み渡り、何といっても秋の夜長の季節の主役はやっぱり月といえるでしょう。1年のうち「十五夜」は12回ありますが「中秋の名月」は1年にたった1度しかありません、うさぎたちも中秋の名月を心待ちにしていることでしょう。月に照らされて美しく見えることを「月映え」といいますが、優しい月のまなざしに誘われて夜空を見上げてみると・・・「ただ過ぎに過ぐるもの、帆かけたる舟、人の齢、春・夏・秋・冬」。若い頃は、ゆったりと流れていた時間が、歳をとるごとに不思議と速さが増してくるように感じられます。過ぎ去って戻ることのない人生を愛おしむ気持ちも、歳をとるごとに募るように感じますがそれは、きっと私だけではなく同年代の皆様も同じ思いなるのではないでしょうか。「過去の生活は食ってしまった飯のようなものである」と森鴎外は言いましたが、それはどんなに願っても過去にはけっして戻れない人生の悲哀や寂寥感を覚えるからかもしれません。たしかに過去の生活は現在の生活のもとになっているといえますから、過去を抹殺することは現在を、未来をも抹殺することになるわけですね。二度と戻れない過去も、思い出すのもためらわれる過去もあるがまま受け入れるのが知恵なのでしょう。

夜空の不思議な魔法が私を過去との対話にいざなってくれます。時おり出かける私の小さな一人旅は、自身と過去との対話の大切な時間でもあります。ひめゆり平和祈念資料館での生存者の証言映像、天真爛漫な少女たちの笑顔の遺影、かわいらしい持ち物や遺品の数々。広島平和記念公園にある原爆被災の資料館。長崎原爆資料館に小高い丘にある平和公園。知覧特攻平和館の学鷲と呼ばれた特別操縦見習士官たちの遺書や手紙の数々。ぎりぎりの生・・・・それは、まるで我が身を燃やしながら周りを照らす蝋燭の炎に似ているような気がしてなりませんでした。この地球上に存在するすべてのものには、存在の意味と働きが授けられていると信じていますが、この自己存在の意味を発見し、意義を自覚し、価値を発揮していく人生のプロセスをこの少女たちや若者たちは絶対唯一無二の「我」を精いっぱいに生きていたのですが・・・・でも、「いま・ここ」に生きていません。

「無知が誤りを招きます。戦争は人災。人が始めるものは人が止めることができるのでは」と、平和祈念の燈火を掲げ続けるのも人間です。

こうして戦争を知らない、私だけの今年の終戦記念日が過ぎました。

Photo by 玉井八平氏(玉井公子副理事長父)