♪ブーゲンビリア第122号(通巻189号)2015年2月号より

 多くの木々が葉を落としその形状をあらわにする冬景色。寒い季節ですが、皆様お変わりございませんか。風邪をひかれたり、寒さで体調を崩されたりしていませんでしょうか。

 如月とは、衣更着(きさらぎ)、寒さしのぎに重ね着をする意だそうです。肌で感じる寒さからは「立春」と言うにはまだ早く少々面映ゆいようにも感じられます。けれども草木は、もう隣まで春が来ていることを敏感に体現して、冷たい空気のなか、小さな蕾を膨らませて咲く梅は、そんな季節の移り変わりを的確に感じさせるものですね。梅が枝に鶯の初音を聞けば、春はもうすぐそこです、春よ来い、早く来いと待ちわびています。

 寒さのせいか、ついつい背中が丸くなり体も硬く丸まったままストーブの前で本を読みながら、春を待つ冬眠のような日々を過ごしています。何だか近頃ピンと背筋を伸ばすことも少なくなったような気がします。時代小説で背筋をピンと伸ばした清貧の美しい立ち振る舞い・・・。日本人はいつから姿勢がこうも悪くなったのでしょうか。歩く姿も座っている姿も何となくしまらないのは私だけでしょうか。

 作家の中野孝次さんの著書「現代人の作法」をストーブの前を陣取ってパラパラとめくると日本女性の凛とした美しさにもふれ「江戸時代の日本は世界でも有数のすぐれた作法のある国だった。当時の日本を見た外国人は口々に日本人の倫理観の高さと作法の見事さを称賛している」と、書かれています。また、ラフカディオ・ハーンも次のような文を紹介しています。

「日本人ほど、お互い同志楽しく生きていく秘訣を徹底的にこころえている国民は、よその文明人なかにもちょっとあるまい。人間の楽しさは、当然自分の周囲の人たちのしあわせに在るのだから、それにはおのれをなくして、なにごとにも辛抱すること、この修養にまつよりほかない。この真理を日本人ほどあまねく会得している国民はほかにないだろう」(日本瞥見紀)より

 「肉体が精神の象徴」と言う言葉がありますが、そうならば、姿勢の悪さはそのまま醜くゆがんだ心の姿ということになるのでしょうか。

 コンビニの店頭でカップ麺をすすりながら座り込んだり、売り出し待ちを大勢で座り込んで待機している姿を見かけますが、大勢でだらしなく地べたに座り込み、食事をしたり、他の方に邪魔になっていても動こうともしない座り姿には、美しさのかけらもありません。

 人のことを言えるほどでない背中を丸めた自身の歪んだ姿勢に大いに反省しました。それは、ゆがんだ心の姿でもあると再認識しました。

 かって現代の日本人を「精神的漂流民族」とか「高学歴無教養社会」と呼んだ時期がありましたが、確かにそのことばの重みを実感します。「志操も威厳もなく、風格も陰影もない」、人間としての誇りも気品もかなぐり捨てようとしている今の日本人の姿にラフカディオ・ハーンは何と思うでしょうか・・・。

 中野孝次さんも先に述べているように「親が子に人間としてこうしなければならぬ、これはしてはならぬと生きる上での価値をはっきり教えてやることがすべての始まり」と言っています。当たり前のことを当たり前にできるよう自己改革することが倫理文化と言うのかも知れませんね。

 背筋をシャンと伸ばすということは、心の姿勢をシャンとするということに繋がるのだと思います。それは「身の回りに起きたことを決して人のせいにしない。自分のこととしてきちんと受けとめるという心のあり様」のことを言っているのではないでしょうか。

 信念を貫く相貌「気と骨」の仏教詩人の坂村真民さんの言葉は力強く、念ずれば花ひらく、鳥は飛ばねばならぬ等の詩は皆さんも愛唱されていることと思いますが、こんなに短い詩からも大地に根を張る生きる力を感じます。
 坂村真民さんの詩「ねがい」より

    見えない根たちの ねがいがこもって
        あのような 美しい花となるのだ

 花は美しいとめでられても、隠れている根が讃えられることはまずないです。それでも見えない地中では、無数の根たちが懸命に働いて、地上の幹を支え、枝を伸ばし、葉を茂らせ、花を咲かせるべく.みずからの役割を果たそうとしている姿、根っこには願いが秘められているのかも知れません。

 人の心にも、根に相当する部分があるのではないでしょうか。

 弱くて揺らぎがちな心を支え、活力を生み出す心の根とはどんなものでしょうか。 やはり「感謝」だと思います。感謝が乏しくなると、心の全体がすさみ、気力は萎えてしまうと先人たちの多くの体験や書物からも知ることができます。逆に感謝の思いがふくらむと意欲も希望も湧いてくることは言うまでもありません。

 「花には、一つとして余分なものがなく、足らないものもないような気がした」苦しみ、悲しみの淵にいた星野富弘さんに差し込んだ一筋の光、それは、すべてのものを生かしている絶対的な愛なのでしょう。花々に自身を重ね、自分の運命もありのままに受け入れていく星野富弘さんのいのちに対する謙虚さと強さに心を揺さぶられました。生かされていることの不思議と感謝が胸にわきあがってくるようです。

 今は冬籠りしている木々たちも、春にはたくさんの若葉をしげらせるでしょう。 耳を澄まして春の訪れを・・・春を聞く、初音をきけば春はもうすぐそこです。