ブーゲンビリア第110号(通巻177号)2014年2月号より

   道 ラザル・ザメンホフ(1859~1917)

 長い日でりが、突然の風が 枯れた木の葉をひきちぎるなら、
 私たちは風にお礼を言おう
 清められた私たちは まえよりもっと新鮮な力をもつ
 私たちはひたすら種をまき、種をまく
 うまず、疲れることなく未来のことを夢みながら
 百の種が消えてゆき、千の種が芽生えない
 私たちはたゆまず種をまき、種をまく

ザメンホフは、ポーランドの眼科医。差別や偏見に苦しむユダヤ人の一人として民族間の争いに心を痛め、国際共通語エスペラントを創案。

「道」は「第一書」でエスペラントを発表する以前の、全人類の相互理解を切望して奔走していた時の作品です。

   らいの人に 神谷美恵子(1914~1979)

 運命すれすれにいきているあなたよ のがれようとて放さぬ
 その鉄の手に 朝も昼も夜もつかまえられて
 十年、二十年と生きてきた あなたよ なぜ私たちでなくあなたが・・・
 あなたは代って下さったのだ 代って人としてあらゆるものを奪われ
 地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ ゆるして下さい らいの人よ
 浅く、かろく、生の海の面に 浮かびただよい そこはかとなく
 神だの霊魂だのと きこえのよいことばをあやつる私たちを

「人間をみつめて」所収。
 みなさんご存じの精神科医の神谷美恵子さんが医学生のころ「らい病」と呼ばれていたハンセン病患者の施設「国立療養所長島愛生園」にしばらく滞在しました。当時はこの病気の治療法がなく、2千人の患者を収容する施設では、毎日のように誰かが死にました。その時、神谷さんが創作した詩の一節です。

 どちらの詩も胸に深く突き刺さる詩です。あなたはどう生きるのか、人間としての資質を問われているように感じ、思わずページをめくる手が止まってしまいました。この二つの詩は、私たちに人生に対する「問い」のように感じます。個の人生を深く生きたければ「大事に持ちつづけたい問い」が、あることを私たちに教えてくれているのかも知れませんね。

 ブーゲンビリアでも「よく死ぬことは よく生きること」のテーマで10年以上、人間の死について多くの講師の先生方や仲間たちと語り合ってきました。

 人間の死は千差万別であり、私たちは「死」という厳粛な事実を、長い間、家族制度という狭い範囲で抱えこんできたのではないでしょうか。家族制度の崩壊、死生観の変貌、延命技術の飛躍的な進歩のなかで、人間にとっての永遠の課題である死へのとらえ方が、今、大きく揺らぎ始めています。 超高齢社会、年間100万人を超える多死化社会を迎えて、警鐘がなり続けています。皆さんはどのようにとらえていますか。国の取り組みとして「地域包括ケアシステム」が確立され、医療・看護・介護・当事者である市民として無関心ではいられなくなりました。実際に、親の介護やケアに奔走したり、看取りに心痛める当事者として、大きな問題に対峙されている会員のお仲間もたくさんいらっしゃいます。心からのエールを送ると同時に、これからの独居の増加にますます地域社会で、看護・介護・看取りを支えていくことが必須となってきました。
(「治療と同時に緩和ケア ~がんとの生き方BOOK~」を再読してくだいね)

 備えあれば憂いなし、今問われている「延命・質」は終末期医療のキーワードです。「生命の延命」と「それに見合う生命の質」について自分のこととして、元気な今こそどうすべきか考え、話し合っておくことが大事なこととなるでしょう。私たち患者の一人ひとりの「生と死」が大切に扱われることを、「生と死」を大切に思う社会をみんなで作っていきたいものですね。

 そして、バリ・パラダイスのように「バリ・パラダイスの定義」は、―略-
 あるがままに存在するということ ここではお葬式もお祭りだ
 あらゆる死は悲しむべきではなく 讃えられるべきだ
 ここでは生も死も一部でしかない 自然の一部でしか・・・
 美しいバリ島の黄昏 空がたそがれていくように 人は死んでいく
 朝がくるように 新しいい命が誕生するのと 引き換えに
 死は神の住む世界への旅立ち 楽しく送りだすべし

 私の座右の銘でもあり、幸せな人生を過ごすおまじないでもある「明るく・仲良く・一生懸命」を「喜べば 喜びが 喜んで 喜びを連れて 喜びに 喜んでくる」 のことばとともに、お仲間のみなさんへ「幸せ」のおすそ分けをお届けいたします。