♪ブーゲンビリア第38号(通巻105号)2008年2月号より

 作家で日本画家の出雲井晶さんの小説に「花かげの詩」という美しい本があります。「日本の神話」や島根の風景をおりまぜた作品に惹かれ、建国記念日も近いので、日本で最古の歴史書「古事記」の原文読破、音読にチャレンジしてみようかと思ったのですが…老後の課題のひとつにすることにします。

 出雲井先生のお話によると「日本の神話」は、人間全体のありようを教えてくれています。子供たちにも伝えたい文化だと訴えています。

 「古代の人々はこう考えていたのです。『創り主様はすべての善を持たれている。自分の命も食べるものも着る物も、すべてが創り主様からのいただきもの。ありがたい、もったいないと。そして感謝、合掌の暮らしを続けていましたから、誰でもが、いつでも明るかったのですね。~中略~ 日本神話は、人として生きる真理を教えてくれる。』今こそ、真理をみつめて暮らしていた古代のひとたちの美しいこころに回帰しなければとおもいます。神話を神話として伝えたいですね」と語っています。

 老いた舅・姑を自らの手で丁寧に看取った後、地味な介護の日常生活の中から芸術的な創造性と人間性を育んだのでしょうか。主婦業をつとめてあげてからの50代半ばから、再び絵筆をとり文筆活動も始めて多くの作品を創作されたことに感動と驚きを覚えました。 もちろん、神話を歴史として捕らえる事や教える事には異論も抵抗もありますが、物語として読んでみたい文章の一つです。

 神話の時代からずっと人間は繋がって生きているのでしょう。多くの人の助けを借りて「今」生かされていることを思うとずっしりとした重みを感じずにはいられません。
 昔は、20代を「弱」 30代を「壮」40代を「強」50代を「艾=がい」 60代を「耆=き」70代を「老」と呼んだそうです。どちらにしても老いるまでの長いような短いような時間を生老病死と道ずれに生き抜かねばなりません。

 1月20日の毎日新聞に東京大学医療政策人材養成講座同期の岩石隆光氏が書かれた「超高齢社会に生きるシリーズ2 賢い『老いじたく』身につける」の記事に目がとまりました。50歳をすぎたらこころに留めておいたほうがいい課題だそうです。
 ブーゲンビリアの学習会での「よく死ぬことは よく生きること」の勉強会をとうして、自分らしい死生観を構築したり、塗り替えたり、よりよく生きる力を掴み取ったり、今やるべき事に気がついたりと役立つ精神的題材です。ブーゲンビリアの定番テーマに関連のある大変興味深い記事なので、その一部をご紹介します。
 『「老い支度システム研究会報告 自分の老後は自分で備える」では、自分を知る、地域を知る、制度を知ることからはじめ、介護保険、成年後見制度、日常生活支援事業の三つの公的支援制度をつかいこなせれば、心配がない老後を迎えることができるとしている。また、老いへの備えが不可欠な現代においての準備の一つとしての必要性が問われるものに、アドバンス・ディレクティブ(事前指示書)がある。  アドバンス・ディレクティブとは終末期だけに限定せず、より長い期間の広い範囲の医療に対する希望を指している。判断能力を失った場合、自分の望む治療を受けるために、誰かに後見人になってもらうかの指定が含まれていることもある。等』とのわかりやすい解説が記されていました。

 いずれにしても、人間らしく、美しく老いていきたいと古今東西誰もが願うところです。「ローマは一日にしてならず」とはよくいったものです。
 ローマ法王の絶対的な権威や建築、土木、水道、彫刻、絵画、学問などの栄華を極めたロ-マ帝国だって500年以上もの地道な蓄積があって花開いたと言われているのですから…。
 私のように横着者が願うような楽ちんな、しかも効率的で人生の最短幸せコースなどはないのですね…。地道にこつこつと人生を積み上げていくことが一番の近道なのだとこころしました。 人生も中盤をすぎたら「テイクよりギブを」こころがけ、他人の喜びをわが喜びにできる豊な感性をもって美しく生きていきたいものです。

 年齢に関わらず人生の最後まで生涯現役で生き生きと暮らす楽しいポイントだそうです、参考になるでしょうか。

 < イキイキ人生の生き方には共通した要件とは >
 ① 友達が大勢いる、あるいは友達がすぐできる。
 ② いくつになってもなにかの役割が持てる、持とうとする。
 ③ 人生に何らかの基本方針を持っている。
 ④ 柔軟なこころの持ち方を意識している。
 ⑤ 時代の先端をいく文化にも好奇心を抱いている。
 ⑥ 遊び心を養っている。
 ⑦ 笑顔にまさる美しさはないといつも笑顔を忘れない。
 ⑧ 感謝のこころを忘れない生活をする。

 まだまだ、寒い日が続きます。
 寒さに負けず今日一日を楽しく元気に生きましょう!!!