♪ブーゲンビリア第93号(通巻160号)2012年9月号より

 残暑の名残りをとどめる西陽を日傘で避けるように信号まちをしていると、顔をなでていく風に初秋の気配を感じました。猛暑が続いているとはいえ、忍び寄る秋に、野鳥のさえずりや蝉たちの鳴き声も季節の移ろいの変化を感じさせます。

 遊び疲れた、けだるさの中で聞く哀愁を帯びた「ひぐらしのかなかな、夏が惜しとなくツクツクホウシ」のひびきに過ぎしの夏の時間が愛しく思い出されます。

 皆様お馴染みの句ですが、自分の子ども時代を思い出して、息子との夏の日を思い出しながら、去り行く夏の句をあじわってみたいと思います。

 「かなかなや 少年の日は神のごとし」 俳人 角川 源義

 真っ黒に日焼けした息子たち。プールサイドに響き渡る笑い声。スローモーションの水しぶき。「おかあ~さん! おかあさん~!見て!見て! 飛びこむから見てて!」の高い元気な声が水しぶきと共鳴・・・・ゆったりと流れた幸せな母と息子たちを見守ってくれたカルフォニアの青い空・・・。もう戻ることもない何十年も前の母と息子の幸せな時間・・・・・。年のせいか、なんだか昨日のことのように懐かしく思い出されます。

 母親の甘美な感傷は、ヌーっと大きくむさくるしい愚息の野太い声でかき消されました。

「何か食べるものない、時間がないから急いでつくってよ」「これから仕事、手が離せないちょっと待っててくれる・・・」br>
「じゃ、しょうがないなあ自分で作るか。肉!肉!肉! 料理の腕には自信あり、だしをとって・・・・」さっさと食事を済ませて息子はお出かけ・・・・。

 仕事が一段落してキッチンへ下りると「とっておきの霜降り和牛をペロット平らげ、ついでに夕食用の豚肉も平らげ、キッチンは創作料理に使用したらしい残こった材料の山・・・。今日は超忙しいので! 買い物に行かない予定だったのに・・・おまけに楽しみに冷やしておいた巨峰までない・・・」冷蔵庫は空っぽ、キッチンは食器の山、なんだか残骸だらけ・・・・。

 「もう知らない、ああ~いやだこんな生活、あの可愛さはどこへいったのだろうか・・・どこで間違えてしまったのだろう。あの汚し方・・・あのやわらかなエンゼルが、いつの間にかハイエナ君みたいになるなんて・・・・わからなかった・・・・。」

 「結婚だけが、人生の幸せと思ってはいないが、先日深夜のテレビをみていたら近未来の日本のライフスタイル、50代男性の3人に1人が独身だとか・・・・」世の中、大変なことになっている、何時の間にか・・・。とりあえず、愚息の背中めがけて母親の渾身の力をこめて「結婚ビーム・片付くビーム」を送りました。

 草や木が自然のリズムに合わせて花を咲かせ、実をなし、やがて枯れていくように私たちのいのちのリズムも「ゆずり葉」のように世代交代の心意気と共に、その役割りを終えて、次に繋いでいく大きな自然の流れにゆだねられていくさまは、大自然の理にかなった素晴らしい、ちょっと悲しい、循環のめぐりと言えるでしょう。

 今の私には、大自然のめぐりからも取り残されたような、なんとも切なくもあり、自然のめぐりを羨ましく思う複雑な心境です 。

 皆様は、大自然にそった人生の時間を迎えていらっしゃることと思います。大自然の中を威風堂々と生きる心地よさを、ぜひ、伝授していただきたいと願います。

 倫理研究所理事長の丸山敏秋氏の洞察力に溢れた深い考え方や未来を見据えた主張にこころ惹かれます。

 『「一番の気がかりは、自分の利益、自分たちの功利ばかりを優先するエゴ人間が増大したことだ。政治が混乱し、経済が低迷する背景に、エゴイズムの蔓延があるのを忘れてはいけない。「国を支えて国に頼らず」の精神をつらぬき通したのが福沢諭吉である・・・・・・。

 その福沢諭吉が、遺した言葉に自由は不自由の中に在り。自由の真義を知る・・・。』。

 また、丸山氏は、『「利便性を追求するあまりに、人と人、人と自然、人と物のかかわりが、とだえてしまった現代社会、その切れ切れになった関係を再びつないでいくことは、できるのだろうか。これだけ合理的に均質な物が創られる社会では、利便性をもって豊かさとする現代の価値志向の裏に捨ててしまった「不便さの中の豊かさ」をもう一度問い直す必要性がある。』と強く訴えられています。なるほどと、考えさせられる問題です。

 「不便さの中の豊かさ」をもう一度取り戻すためには、日々の暮らしの中でどうしたらいいのだろうかと、私なりに暑さに負けずに考えてみました。「自分自身の内面と向き合ってみることからはじめて、次に自身がまわりと繋がることから初めてはどうだろうか・・・・。自分自身が閉じている限り、何も変わらないように思うので、とりあえずアクションを起してみたら、自分を取り巻く景色が変化するかも知れません。」

 いのちをつないでいくため、体の健康維持のために、食べることが必要なように、 人の内面は、物やお金以外のもの、自分以外の人や物と繋がってみる必要性がわかっているのでしょう。美しいものや楽しいことを誰かと一緒になってみつけ、喜びや感動を分かち合うことで豊かに育つ喜びを知ることとなるのでしょう 。

 そう、人々は実感するからこそ仲間を作り、友達をつくり、愛する人をみつけ、家族をつくり、何かにむかってチャレンジする勇気を得ることができるのだと思います。「人と人がかかわること、人と物がかかわること、空間と空間がかかわること、心と心がかかわる」ということで、結果として大自然の熟成された、大自然の法則にそった生き方が出来るのかも知れませんね。」

  静かな気もちで こころの奥を見つめるとき
  おそれからもこだわりからも解き放たれる こころとからだ
  ひろびろと未来へと続く道 その道をたゆまずに歩む喜び
  太陽の輝く道 星星が導いてくれる道
  自由なこころの他に何ももたず その道をたどった賢い人たち
  彼らは絶えることを知っていた いそしむことを知っていた
                詩 谷川 俊太郎

 祈りは、人を謙虚に、そして敬虔にします。こころの奥にひそむ傲慢な自分自身を省みる機会となることを知り、自分自身を戒めることになるのではないでしょうか。その意味でご利益を求めての形だけのことであっても、手を合わせ神仏を拝する姿は、祈りの姿は、どこか、静かで美しく感じられます。

 しかし、多くの人が本当に願っているのは目先の利益を得ること以上に、真の幸福を得ることではないでしょうか。すなわち、心の底から信じられるものに出会うことではないでしょうか。損得勘定では得られない絶対的な、揺るぎない本当の人間としての尊厳を大事にした真の幸せを、たくさんの人が求めているのだと思います。

 古い話ですが、いまでも心に残っている美しい話をご紹介いたします。アフリカ大陸西海岸の都会の影響を受けていない本当の昔のアフリカでのできごとです。

 あるカトリックの夫婦は、親をなくした孤児5人を我子として引き取って仲良く暮らしていました。すぐ隣の6人の子どもをもつ、もっと貧しい信者の夫婦が、残っていたわずかな食べ物を(ミール)を、別の隣の家族と分け合っているのをみたシスターは、不思議に思い、訪ねたそうです。「なぜ、明日あなたに必要な食べ物を分けてあげるのですか」

 そのご主人はにっこりと微笑んで答えたそうです。「自分が生きていながら飢え死にする人を見ることより、一緒に飢え死にするほうが幸せです」と・・・。貧しい暮らしの中の、輝いた人々の本当のゆたかなこころでしょうか。

 こころがあたたかくなる家族のお話しです。

 初秋の風は、本のページをめくります。読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋。皆様は、どんな秋を満喫されるのでしょうか。わたくしは欲張って、丸ごと秋を楽しみたいと思います。