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生命倫理セミナー第2回・患者が考える生命倫理

医療の受け手である患者が自身の体験に基づいて
倫理の在り方を考える

タイトル 生命倫理セミナー第2回・患者が考える生命倫理
医療の受け手である患者が自身の体験に基づいて
倫理の在り方を考える
日にち 2022年2月23日(水)
時間 13:30~15:30
開催形式 ZOOMオンライン会議システム使用
申し込み チラシのQRコードもしくはURLのgoogle formよりお申し込みください。
https://forms.gle/BfrqKvSzU4ssMNBAA



参考資料

医療よもやま話(57)
共済新報(57)2017.9.25 患者市民参画1128

栗原千絵子 生命倫理政策研究会

患者・市民参画とバイオエシックス

患者中心の医療

 近年、医療や医薬品開発への「患者・市民参画」が推進されている。「患者中心の医療」という言葉を初めて聞いたのは私が医療に関係する仕事に本格的に関わるようになった二〇〇〇年代初めの頃だが、医療は患者のために行われるものなのに、あえて「患者中心」と表現することに違和感を抱いたものだ。二〇〇四年には、親しくしている出版社から『患者のための医療』という雑誌が刊行され、医療安全や医療の質の改善をテーマとしたさまざまな記事が掲載された。同じ出版社から私たちが翻訳出版したマーシャ・エンジェル著『ビッグ・ファーマ-製薬会社の真実』(国際的一流医学雑誌の編集者である医師が著者で、大手グローバル企業のマーケティング戦略を赤裸々に描いた著作、篠原出版新社)の刊行記念シンポジウム講義録が、この雑誌の特集号として出された。同誌は惜しくも〇七年に休刊となったが、「患者中心の医療」という概念はその後さらに発展している。九〇年代半ば頃から医学雑誌の編集の仕事をしていた私は、医学専門論文などで「患者」に「さん」を付けて執筆されていると、慇懃無礼な感じがして「さん」を削除してもらうことも多かったが、最近では医学専門家のそうした記述にもだいぶ慣れてきた。

 本年(二〇二一年)中に和訳が刊行された『患者中心の医療の方法』という書籍によれば、「一九八〇年代、患者中心の医療の方法が初めて概念化され研究と教育で使われ始めた時には、それは医学の周辺にありました」ということだ(Stewartら著、葛西龍樹ら訳、洋土社)。この本では、「患者中心の医療」が方法論として研究され、医学教育の中で位置付けられてきた経緯を説き、その方法論を体系化している。現代医療では、専門家による科学的な分析や判断が重視されてきた。今日では、患者の全人的なケア、患者自身の語りによって伝えられる価値観が重視され、医療行為の結果の良し悪しについての評価も、患者の視点から患者自身によって行われるといった試みも広がっている。

医療への患者・市民参画

 「医療への患者参画」という概念も、同じように、患者のために行われる医療なのに、なぜあえて「参画」というのかと不思議に思った。「患者参画型医療」というのは、医療安全、医療の質の向上に向けて国際的に推進されており、二〇一八年の第三回閣僚級世界患者安全サミットで採択された「患者安全に関する東京宣言」でも、「安全で質の高い医療の提供や医療サービスのあらゆる側面(政策の策定、組織レベル、意思決定、健康に関する教育、自己のケア)において患者及び患者家族が参加することの重要性を認識する。」と明記された。つまり、医療を受ける立場で患者が参画することは当然なのだが、医療提供システムを組み立て、改善することや、医療の選択の意思決定のプロセスにおいて、医療専門家が一方的に決めるのではなく、患者が大きな役割を果たすこと、ひいてはその中心となることが推奨されているのだ。

 私が特に関わってきたのは、医学研究や、医薬品開発における「患者・市民参画」である。私自身は比較的健康なほうなので、「患者」というよりは「一般市民」の立場で、研究計画の倫理審査に「参画」してきた。病院などに設けられる「倫理審査委員会」で、患者や健康な人を対象として行われる医学研究の計画書を、実施してよいかどうか、研究計画の科学的な妥当性と、患者の安全や意思決定と関わる倫理性の観点から評価し、審議する会議体としての「倫理審査委員会」委員としての仕事である。委員会には、医療専門家だけではなく、一般の立場を代表する者や、倫理・法律の専門家が参加することが必要とされる。こうした会議に参加する機会が増えるにつれて、より積極的に、責任をもってその役割を担おうと勉強を重ね、今では医学研究に関する倫理の専門家として、大学・研究機関や学会、また企業職員向けの教育などにも携わってきた。

 最近になって、患者・市民の参画を促進するために、患者・市民に対して教育・研修を提供する機会も増えてきた。そうした活動の中で、患者・市民の立場の方々と一緒に、二〇二二年初めに「バイオエシックスセミナー」を企画・開催することになった。

バイオエシックスセミナー

 このセミナーは、私が活動に参画している「医薬品開発基盤研究所」(https://ji4pe.tokyo/ 代表理事:今村恭子)のワーキンググループの企画として開催する。この研究所は、医薬品開発のプロセスに患者・市民が参画することによって、「エンドユーザー」である患者のニーズを十分に反映した研究開発が行われるようにするため、参画する側の患者・市民が学ぶ機会を提供している。段階を踏んでコースがグレード・アップするので、上級コースでは患者・市民と専門家が同じ講義を受ける。ワーキンググループの活動は、正規のコースとは別に、学びのプロセスにある患者・市民・講師が自発的にいろいろなプロジェクトを立ち上げて活動している。正規のコースに参加していなくても、ワーキンググループの活動内容に関心のある人なら誰でも参加できる。

 「バイオエシックス」というのは、日本語に訳せば「生命倫理」で、医療や環境などを中心として幅広い分野で「いのち」に関わる倫理的問題を扱う。一九六〇~七〇年代に米国の公民権運動(アフリカ系アメリカ人の平等な権利を確立するための運動)や消費者運動、環境保護運動などを背景に形成されてきた学問分野である。その世界的な提唱者の一人である木村利人先生(早稲田大学名誉教授)を招いて、二〇二二年一月二二日(土)午後一時半より第一回目を開催することになった。第二回目は二月二三日(水)午後一時半より、患者会でリーダーシップをとっている内田絵子さん、村上利枝さんに講演いただく(両企画の詳しい内容や参加登録はホームページhttp://cont.o.oo7.jp/sympo.htmlを参照。参加費無料、要事前登録)。企画コーディネイターをつとめる井上恵子さんも、患者・市民を代表する立場で活躍されている。

 木村利人先生は、「いのちを守り育てる市民の運動」がバイオエシックスのルーツであると説いている。生命医科学技術が急激に発展し、遺伝子や生命に対する操作が現実のものとなり、臓器移植や生殖補助医療、延命治療継続の判断など難しい問題に我々は直面している。そうした中、患者の権利と尊厳を守り、市民社会の秩序、動物や自然環境を保護するための公共政策を形づくるための、自然科学、倫理学、法学、社会科学などの分野を超えた「超学際的」なバイオエシックスを木村先生は提唱する。セミナーのタイトルは「バイオエシックスの展開と患者の未来-バイオエシックスのグローバルな展開のルーツと患者・市民の権利を未来へとつなげるSDGs」というものだ。SDGsとは「持続可能な開発目標」を意味する。国連開発計画が二〇三〇年までに達成すべきとしたもので、「貧困に終止符を打ち、地球を保護し、すべての人が平和と豊かさを享受できるようにすることを目指す普遍的な行動」を呼びかけている。個人の権利と尊厳を守ることも、国際社会における格差をなくし、未来世代のために地球環境を守ることも、いずれもバイオエシックスのルーツと直結する。そうした広い視野からの講義とディスカッションが期待される。

患者会のリーダーシップ

 木村先生の講義を受けて、その一か月後には、内田絵子さん(女性特有のがんのための患者会「NPO法人ブーゲンビリア」統括理事長)、村上利枝さん(日本癌治療学会認定がん医療ネットワークシニアナビゲーター/相模原協同病院 がん患者会「富貴草」)のお二人に、ご自身の体験や患者会活動などについてお話しいただく。

 内田さんは、二五年ほど乳がんや女性特有のがんの患者会を率いてきているが、九四年にシンガポールで乳がんの診断・治療を受けた体験から出発している。当時の日本では普通のことであった「お任せ医療」とは異なり、患者に複数の選択肢を説明して、十分な理解に基づく意思決定としての「インフォームド・コンセント」を与えた経験を大切にしている。「ブーゲンビリア」では「せっかく乳がんになったのだから」という合言葉のもと、自身の行動に病気の原因があるのではないかと過去の自分を責めることなく、病気の経験を活かして未来を切り拓く姿勢をモットーとしている。患者どうしで「死」についても語り合い、先に旅立った仲間には折り鶴を捧げて見送るのだという。テレビ出演もされ、米国の病院視察や専門学会との交流を重ね、東京都・立川という地域をベースにしつつ国際的に活躍している。

 村上さんは、ピア・サポート(同じ体験を持つ当事者どうして支え合う活動)の豊かな経験を持つ。神奈川県・相模原市を拠点として、地域での多職種連携活動の一環として、患者・家族が支え合う活動に従事している。木村利人先生は生命倫理学の大家であるだけでなく、日本の国民的ヒット曲である「幸せなら手をたたこう」の作詞者としても広く知られることは本連載の第五四回でも紹介した。村上さんは、この歌が患者やその家族にとって辛い体験を乗り超えて、互いに支え合い希望をもって未来へとつなげてゆくための勇気と励ましを与えることや、木村先生の提唱する「市民活動としてのバイオエシックス」という考え方に、自身の地域での活動を重ねあわせて、共感を寄せている。

 企画コーディネイターをつとめる井上恵子さんも、研究の倫理審査委員会や医療安全と関連する活動に参画する豊富な経験を持つ。他にもそれぞれに病を抱えながら参画するメンバーと細やかに話し合いを重ねて、患者・市民の立場の参加者の心に届くオンライン・セミナーの実現に向けて準備を進めている。

『ヘルシンキ宣言』をグラフィックレコーディング

 このワーキンググループでは、人間を対象とする研究の倫理原則である『ヘルシンキ宣言』(世界医師会)を、患者・市民の視点で読んでみる活動も進めてきた。世界の医師たちが決めた倫理原則を、医学研究の対象となる側の患者・市民が理解するための勉強会として二〇二〇年十一月頃から発足し、ウェブ会議システムを活用して連続的に開催してきた。勉強会を重ねるにつれて、研究を実施する側の医師の視点とは異なる、患者・市民の視点からの新しい解釈、発見、解決すべき課題について気づくきっかけにもなっている。医学専門家の言葉で書かれた宣言は難解な記述もあるため、理解を促進する目的で「グラフィックレコーディング」(グラレコ)のスキルを持つ吉川観奈さんの協力をいただいて議論を進めた。吉川さんによればグラレコとは「会議、講演またはワークショップ等の内容を進行にあわせて絵と簡単な文字で描き表していく技法」である。一時間ほどのウェブ会議で展開する議論を、吉川さんは瞬間的にとらえて、タブレット端末の電子的な絵筆を用いて(吉川さんは「eグラレコ」と称している)、愛らしく親しみやすいイラストとウィットの効いた言葉遣いで描き出してゆく。会議録の役割を果たすが、文字だけの議事録とは異なり、感覚的な印象や、その場の雰囲気も活き活きと伝える記録となる。会議の終わり頃に吉川さんに作品を披露していただくと、それをもとにしてさらにその日の議論を振り返り、深め、要点の確認や新たな発見も含めたクロージング・リマークとして活かすこともできる。

 連続勉強会のうちグラレコを使った三回の会議の結果は、『患者・市民参画活動報告:「ヘルシンキ宣言」を患者・市民が読んでみた!』をメインタイトルとする三回連続の記事として医学雑誌「臨床評価」誌に掲載され、グラレコ作品とともに全文公開されている(49巻1・2・Supplement 38の3つの号。 http://cont.o.oo7.jp/specialissue.htmlより閲覧可)。

わたしたちのヘルシンキ宣言

 グラレコを活用した勉強会の中から、世界医師会によって記述され、日本医師会によって和訳されている『ヘルシンキ宣言』の言葉を、患者・市民の言葉で、自分たちの仲間である患者・市民にとって理解しやすく、伝わりやすいように説明する言葉で綴る「わたしたちのヘルシンキ宣言」作成の活動も立ち上がってきた(上記シリーズ記事の「パート2」にその経緯を詳しく記している)。

 理解を深めるため『ヘルシンキ宣言』の成立経緯についても確認した。世界医師会は第二次世界大戦が一九四五年に終結した直後の四七年に結成され、直後に採択された『ジュネーブ宣言』(四八年)と『医の倫理国際綱領』(四九年)を、医療倫理の体系の基盤とする。一般市民も巻き込んだ大戦の過ちを二度と繰り返さないという国際社会の決意、ナチス・ドイツ医師によって行われた残虐な「人体実験」に対する医師たちの深い反省に基づいている。二つの宣言の、医師は「自分の患者の健康を自分の最大の関心事」とし、「医療の提供に際して、患者の最善の利益のために行動すべきである」との誓いは、一九六四年に採択された『ヘルシンキ宣言』初版に引用され、その後九回の改訂を重ねた最新版の二〇一三年版にも明記される。生きた文書(living document)として科学技術の進展や社会の変化に応じて改訂が繰り返されてきた宣言であるが、基盤となる理念は変わることなく銘記されている。

 医学研究の直接の目的は目の前にいる患者の治療であるというよりは、新たな科学的知識を生み出し、未来の患者にとって有益な治療を開発し、評価することである。それであっても、医師は患者の最善の利益にために行動すべきという基本原則を踏み外すようなことがあってはならない。このため『ヘルシンキ宣言』は、医学研究の目的は新たな知識を生み出すことであるけれども、研究の対象となる人の権利・利益よりも研究も目的が優先されてはならない、との原則(第八条)を基軸としている。

 患者・市民の視点から問題提起された一つの課題は、患者にとっての最善の利益をどのように判断するのか、ということである。何が患者にとっての「最善」なのか、患者の好み、価値観、人生観によってさまざまである場合があり、必ずしも医師のみで判断できるものではない。患者が中心となって、医師以外の多職種も含めたチームによって、治療方針を選択し、医療を進めてゆく必要がある。「世界最高」の医療を求めて海外に渡る患者、最先端の治療を求めて、有効性や安全性を評価する段階にある「研究」に参加する患者もいる。その一方で、病と共生しながらも心の安定や癒しを得ることが、その人らしく、より良く生きることになることもあるだろう。

 「患者中心の医療」「患者参加型医療」が現実の医療システムの中で根付いてくるとともに、「生きた文書」としての『ヘルシンキ宣言』の中に、患者中心の視点を根付かせるための将来の改訂作業に、私たちの活動が少しでも寄与することになれば、と願っている。