絵子の縁側便り 2月号

2025年2月
津根 静香

 患者会では、なかなか「死」についての話題は取り上げづらいのですが、ACP(人生会議)や緩和ケアの勉強をする機会はあります。がんは、病気のひとつであって特別なものではなく、慢性疾患になりつつある時代ではありますが、がんをきっかけに「死」を考えることはあることでしょう。

 現実論としてお葬式やお墓のことを考える方もいると思いますが、コロナ禍を境に、その価値観が変化してきていると感じていました。そんな中、『「遺骨を拾わない・お墓をつくらない」埋葬を考える 源 淳子著(同時代社)』という本に出会い、読み終えた時、何か腑に落ちる、気持ちが軽くなりました。常識や風習は、時として人を苦しめると感じ、もっと自分の気持ちを大切に、自由に考えることが必要だと思いました。今生きている時代の自国の法律を知り、その中での話になりますが…。

 何と言っても、檀家制度が成立したのは江戸時代(1665年)。戦後80年で家族形態は大きく変化し、兄弟や親戚との関係が薄くなり、ひとり暮らしの人の増加が止められない社会で、お葬式やお墓が意味することは何でしょうか。

 

 精神科分野ではありますが、「オープンダイアローグ」という言葉を聞いたことはありますか?簡単に言うと「対話の世界」です。これはがん治療を受けている私たちにも通ずるものがあると思っています。

  • 自分に大切なこと、大切なだけに人に話しにくかったことを、仲間の力を借りながら話をしたり、聞いたりすることを続けると、そういう時間を省略しないことと、物事は必ず変化すると信じ続けたいと思うことの大切さがわかるようになる。
  • 物事はずっと固いままでいられない、そのためには焦らず待つことが必要らしい。人ができることは限られていて、後は待つ。そうするうちに、少しずつ変化が生じる。
  • ヴィパッサナー瞑想の体験(何も話さない、書かない、読まない、人と目を見てコミュニケーションをしないという10日間)をすると、おおげさではなく別の世界に行ったような感覚になる。瞑想の修行が進み、1時間座ったまま体勢を変えずに居続ける…苦行も苦行。足がしびれを通り超し、強い痛みになるが、その感覚を観察するように言われるだけ。めちゃくちゃ痛いのに「待っておけ」と。もうだめだと、もう限界の限界の、その先の限界、やめるしかないと思ったその瞬間に、スッと痛みが嘘のように消えたのを体験した。この体験で物事はずっと膠着したままではいられないと、身体的に十分すぎるほど感じさせられた。

エッセー「壮大じゃない話」星野概念(精神科医より)

 

 専門家ではないので、そんな研修や修行をしなくても…。私たちができることは「マインドフルネス」の実践かもしれません。これまた、具体的な方法を知りたくなりますが、ただただ心の持ちよう、気持ちを解き放した感じでいいのではないでしょうか。私は、呼吸に集中、深呼吸する時間を作るようにしています。それを動きにしたところ、「ハイキング」にたどり着いたようです。

 山に行くと、動物(鳥や昆虫も…)や植物(樹木、きのこも…)は身近な物となり、山頂から景色を眺めたり、空を見上げたり、日の温かさや風を感じたりしていると気持ちが楽になります。

 ある冊子のコラムに野村忠良さんが書いていました。

 マインドフルネス、この生きた方を生まれたときから実践している先輩たちがいる。それは動物や植物たち、そして存在する万物だ。彼らは自然界の法則に従順に従い、為すべきことだけを為し、余計なことはしない。争って負けても、結果を受け入れる。命が尽きるときには潔く散ってゆく。「今」を懸命に生きている。彼らのお陰で、自然界は本当に瑞々しく美しい。この先輩たちを見習って心や生活を整えていると、すべてが整然と軽やかに、しかも柔軟に移ろってゆく。そして美しい。

 

 雪の上を走る熊、こたつに入っている熊など冬眠しない熊のニュースにびっくりの冬です。少し日が長くなりました。春、多くの動物や植物が動き出します。人も…同じかなと思います。

写真:玉井八平氏(玉井公子副理事長父)