絵子の縁側便り 12月号

2024年12月
谷合 公子

 2024年の12月がやってきました。8日はブーゲンビリアがシンポジウム「いのちのバトン 薬はみんなで作るもの パート13 ~がん医療における患者・市民参画(PPI)とは~」を開催します。会場はJR四ツ谷駅近くの主婦会館プラザエフです。2017年11月26日には同会場で「乳がんの個別化医療 より効果的により副作用を少なく~患者中心の医療の普及やQOLの向上を目指して~」と題してシンポジウムを開催しました。ご記憶にある方もいらっしゃるかと思います。今回は特に皆さまへのサプライズとして心あたたまる企画もご用意しています。ご参加を心よりお待ちしております。

 11月の半ばぐらいから街はクリスマスの飾り付けで賑やかです。八百万の神を信じている私ですが、クリスマスが近づくと教会が気になります。観光以外で教会と関わったのは小学生の高学年に教会主催の子供英会話塾に通ったのと自分の結婚式を教会で挙げたことでした。年月を経て、乳がんと診断されて通ったブレストセンターの診察室の隣の部屋に小礼拝堂がありました。その礼拝堂には「ご自由にお持ちください」と書かれた箱があり、その中の紙に

神よ

わたしたちに変えられないものを受け入れる心の平穏を与えてください。

変えることのできるものを変える勇気を与えてください。

そして、変えることのできるものとできないものを見分ける賢さを与えてください。

われらの主、イエス・キリストによって。

アーメン。

と印刷されていました。がんと診断された直後の私にとって、この言葉から目が離せず何度も読み返しました。「変えられないものを受け入れる・変えることのできるものを変える勇気・変えることのできるものとできないものを見分ける」。偶然手にいれた言葉でした。が、初めての外科手術など分からないことへの不安でいっぱいな心に応えてもらえる言葉でした。そのブレストセンターには8年間通いました。幸運なことに私の主治医は1994年に渡米してがんの最先端の研究に加え、アメリカの医師資格を取得して乳腺外科医の臨床も十分に積み、2009年に帰国したばかりの方でした。2009年にがん告知を受けた私は偶然奇跡的に出会えました。アメリカの乳がんの女性が得られるベネフィットは、日本の女性も得られるようにしたいという強い意志を持ち、乳がんは「不治の病」から「慢性疾患」に移行しつつあると14年も前に言い始めた医師です。

 治療後の長い人生を「がん患者らしく生きる」のではなく「自分らしく生きる」等、がんサバイバーに数々のメッセージを提言くださいました。私は手術していただいた上に8年間も寄り添っていただきました。今こうして暮らしていけるのも主治医のおかげです。ただただ感謝しかありません。

 クリスマスが過ぎると街は年末年始に模様替えです。私は、この1年を振り返りながら新しい年神様をお迎えするためにあわてて大掃除を始めます。本当に八百万の神を信じています。

 11月の半ばごろ、このコラムを書いている最中に詩人の谷川俊太郎さんの訃報をニュースで知りました。谷川さんは朝日新聞で原則毎月第三日曜に「どこからか言葉が」という書き下ろしの詩の連載していました。亡くなった後の11月17日に掲載されたのは「感謝」というタイトルの詩で

目が覚める

庭の紅葉が見える

昨日を思い出す

まだ生きてるんだ

という書き出しで始まり、最後は

感謝の念だけは残る

という言葉で結ばれていました。

 残り少なくなった2024年を感謝の気持ちで送り、新しい年を感謝の気持ちで迎えたいと思っています。

 何より皆さまがよいお年をお迎えになりますよう心よりお祈り申し上げます

写真:副理事長玉井公子父 ・玉井 八平