絵子の縁側便り 10月号

2024年10月
内田 絵子

 風にそよぐススキに夕日を浴びる赤とんぼ。日暮れが早くなったと感じる秋の夕暮れ、斜光線に照らされた街が黄金色に染まる時間帯が一番好きな時間です。
いつもより人々が気ぜわしくどこかへ向かう姿に、私はザワザワと胸が締め付けられるような気分になり心細さを感じながらも秋の日の長い長い自分の影を踏みながら家路に向かうのが日課でした。

 春の七草は無病息災を願い「七草がゆ」として食べますが、秋の七草の美しさは「秋の野に 咲きたる花を 指折りかき数ふれば 七草の花」と、その美しさを愛でる歌が由来でしょうか。秋の七草の「萩・すすき(尾花)・葛・撫子・女郎花・藤袴・朝顔の花(桔梗)」は、その美しさを愛でる歌としておなじみですが、先の歌が詠まれた時代は朝顔といえば桔梗、ムクゲを指していたようです。

 ムクゲ、朝顔の花は朝に開き、夕方にはしぼむ一日花として知られていますが・・・・・そのはかなさが日本人の情緒感に合い好まれるのですね。

 その一方で日本人の生活に欠かせないものとして「萩」は、屋根や壁の材料や染料に使用したようです。またお餅に混ぜて食べたその名残からか和菓子の「おはぎ」の由来と言われているようです。尾花(すすき)は、わらじやほうきの日常品に、またかやぶき屋根の材料に使われ、葛の根は風邪薬(葛根湯)、繊維は衣服にと奈良時代より人々の生活を支えていたのですね。昔の人々の自然を活かした生活の知恵に驚きますね。

「蘭」と言うとシンガポールの国花でもあり華麗なラン科の花々を思い浮かべますが、古くは秋の七草のひとつである「藤袴」のことをさしていたようです。「蘭」は香りのよい草を表す漢字で、その香りの代表の花が藤袴だったようです。葉を干したものを香料として利用していたようで、異性を引き付ける香りだと言われ着物に忍ばせたりしていたりと何か華やかな源氏物語絵巻が目に浮かびます。今ではそのような秋の情景や秋の七草を身近に感じるのも難しいかもしれませんね。でも、いつの時代になっても秋の野で七草探しを楽しみ、歌を詠み合うような情緒溢れる日本文化を失いたくないですが、緩やかな自然につつまれた生活がいつまで残るのでしょうか。

 時代を超えた先人たちの人生の知恵というか、教訓というか、メッセージの一つをもの思う秋になると思い出します。「共歓のカギは心のかたち・心が先です」とのことばに心が大きくゆり動かされます。心の扉を開き、すべてを受け入れるとストレスは消えると言われているからでしょうか。

「心が先だから」明るい心が身体を健康に育み、仕事や家庭や人間関係を豊かにすることに繋がります。その意味を深く知ると「心がすべて」とは、豊かな人生を切り拓くためにあるのでしょう。より深く自分自身について知ることや私たちの心の内側にある聖域と向き合うことなのかも知れませんね。
皆さんは「心が先です」の言葉の意味をどのように感じますか。
また、どのように実生活にとりいれているのでしょうか。

 頭では理解できても現実の日常生活では明るさを奪う出来事に、翻弄されながら生きている現実が多くありますよね。未来を想像することが出来ない病や癌の告知時、その治療と・・・。老いへの漠然とした不安、死への恐怖等がありますね。
また過去の出来事にとらわれ、人生の大事な時間が過ぎ去っていくことへの焦燥感。
何かやりきれなさは皆さん多少なりとも経験があるのではないでしょうか。

 心身医学に身体言語・器官言語という言葉があるそうです。「身体言語」は精神の悩みが身体に現れている状態をさし、「器官言語」はその人の性格を身体が示しているという意味のようです。「イライラ・クヨクヨ・カッカ」の感情は健康によくない三大感情と昔から言われていますが、まさに人間の感情の真髄かもしれませんね。

 有限な人生の時間を大事に活かし、実り多い豊穣の時を願って自分らしく暮らしていこうと、残りの時間を数えている今日この頃ですが・・・・・・。

 まあ、気をとりなおして、とりあえず人生に様々な彩を添えてくれる秋ですから、芸術の秋、行楽の秋、スポーツの秋、文化の秋、読書の秋、実りの秋、食欲の秋・・・・・

さて皆さんはどんな秋を過ごされるのでしょうか。

 酷暑の日々を乗り越えたのですから日本の美しい秋の深さを堪能いたしましょうね。
皆さんにとって素敵な彩を添えてくれる秋となりますようにお祈りいたします。

写真:副理事長 玉井公子父 ・玉井 八平