♪ブーゲンビリア第114号(通巻181号)2014年6月号より

新世6月号「特集 生かされて生きる」のインタビュー記事を読んで

 明治42年石川県生まれの三浦美知子さんは、78歳より童話を書き始めました。78歳の自分にできることは? と始めたのが童話作り。戦争を通し生への意欲を童話に託して・・・。

 つまり「死と愛」がテーマの赤い風船、また「生と愛」をテーマに生きることを追及した作品を発表されました。過去の喜び、輝き、哀しみ、苦渋などの思い出だけではなく、現在、今を生きている幸福、喜びが、進行形のそのまま年輪を刻んでいる作品だと紹介されています。

 国語の教師として成蹊女学校では仏教を、立教女学院はキリスト教と二つの宗教が身近に存在する職場の中で、「次第に私の気持ちの中には仏教とキリスト教も一つであり大きな何かが抱きかかえてくださる。だからすべてのみんな生かされているとつくづく思います。この世の勘定だけで物事が成り立っているとは思えませんから」と、深い想いを語られています。

 画家であるご主人の絵は繊細でかつ緻密な画風。そのご主人がある日突然、「絵を描くことに行き詰った」と、難病バセドウ病で通院している美知子さん、4人のお子様を残して旅に出られました。ご主人のメモ書きに不安と動揺しながらも、「頭が混乱しているときは、くよくよ考えるよりは夢中で働く方が問題解決になる」と、井戸で洗濯物をゴシゴシ洗い続けたそうです。

 水しぶきの向こうに立教女学院で毎日聞いていた聖歌が聞こえたそうです。「ああ、もっと苦しまれた方がいるのに、何をここで私が嘆くか」と、気を取り直すと同時に相手を責める気持ちが消え、心からご主人を迎えようと思われたそうです。

 その後、今までとは違う点描の画法を身に付けられたご主人は戻られ、生き生きと点描で描き続け創作の場を広げて行かれたとのことです。

 また次世代への若者へのメッセージを求められ「1信じられるものを持つこと・2忍耐すること・3ベストを尽くすこと」と、美知子さんは語られ、「前向きに生きて行こうと思っているものに対しては、道が与えられ、開かれるものだと心から感謝する日々です」と、言葉を繋ぎました。

 戦争という苦しく辛い体験や物資の不足した貧しい時代の中でも気丈に明るく子供を育てながら職業婦人として働き、高齢の身でありながら未来に向かって意欲的に童話を書き続けた美知子さんの精一杯生き抜いた人生に魅了されました。

 明らかに死に直面する中で「生」への本来の意味に立ち至った経験や瞬間、瞬間の生の燃焼から生の実相を知り、確かで豊かな人生観を確立されたのではないかと・・・・思いをはせました。