♪ブーゲンビリア第64号(通巻131号)2010年4月号より

 冬の福寿草から始まって、梅、山茶花、桃、椿、桜、れんぎょう、木蓮、やまぶき、木瓜、やまぼうし、雪柳、はなみずき、沈丁花、すみれ、カタクリの花等など、春の木々や花々がその可憐さやあでやかな美しさを競い合う季節がやってきました。

 そしてあっという間に街一面がしたたるような緑色に染まり、若葉におおわれる清々しいさわやかな季節に…。大自然の営みに感動、つくづくと四季のある日本に生まれたことを感謝せずにはいられません。また、春は芽吹き、スタート、出発の季節で、卒業・新入学・就職・引越しと日本中が希望の色にあふれる季節でもあります。

 街が若葉色に染まる頃、我家ではささやかな?変化が起きようとしています。

 それは、第二の定年退職を夫が迎えることです。ただひたすら実直に忍耐強く、丁寧な仕事を積み重ね生きてきました。思えば35年の家庭生活を継続できたのも、のん気な女房が朗らかに気ままに暮らせたのも夫の真面目な働きのお陰でした。最後の海外巡回の旅先で67回目の誕生日と退職の春を迎えることになります。

 仕事が終わるということは、「すること・しなくてはならないこと」が終わるということでもあります。どんな心境となるのでしょうか…。なんだか小さくなった夫の後ろ姿に「お疲れさま」と「人生の仕上げの本番はこれからよ」と伝えようと思います。

 『「労働の「労」は疲れる、骨が折れるという意味だそうですが、「喜働」は、働ける事自体が喜びでありしあわせであり、経済、健康、人間関係、信用度、能力すべてが喜びの働き。人のために動く、はたを楽にするのが「働き」の意味だそうで、人のために頭を使い、身体を使い、心を使って尽くす生活が至上の働き。働きによって人生の決着をつけるという積極的な姿勢が幸せの環境をつくる』とのこと。   ~労働から喜びの働きへより~

 哲学的詩人のヘルマン・ヘッセの詩を声高らかにうたいませんか。

 木の切り株に腰をおろし、ため息混じりにちょっと空を見上げたくなった時、きっと心の琴線にふれ、身体の中から元気がみなぎってくることでしょう。

   歌え、 心よ!
   今がおまえの時である。
   明日まで生きているという保証はない。
   星が輝いているのを見ないのか。
   鳥が唄っている声を聴かないのか。
   歌え、 心よ!
   おまえの時が燃えている間に。

 多くの先人たちによって言い尽くされたことばでもあり、度々絵子のティータイムにも登場するテーマであり、今私にとって旬の話題であり一番の関心事でもあります。

 また、懐かしい母親の口癖を思い出し、その会話の情景も思い出し胸がキュウンとなります。古いアルバムをめくるように、その昔、若く! 健康で! みがいた赤りんごのようにピカピカしていた当時の私には…、母親のかび臭い、何か辛気臭いことばに何の価値も関心も見出せず、自身の老いや若さがなくなることなど信じられず又疑いもせず、ただ目の前のみずみずしい若さやエネルギーを享受、消費していました。

 決して青春やこれまでの自身の人生の時間を否定しているわけではなく、どの時代を切りとっても自分探しや充実した一生懸命な自分がいるのです。どの時間もとてもいとおしく無駄はないのですが…、それでもなぜか、とても切なく感じるのです。
有史以来の発見の一番はなんと言っても時間ではないでしょうか。

 人生の時間は、信じられないほどのスピードで通り過ぎていきます。

 あっという間に中年にさしかかり、感傷的になる間もなく熟年に突入し、気がついたら初老を迎える頃となりました。今頃になって時間哲学を実感してあわてふためくとは…。

 「光陰矢の如し、なんとすばやく両手から砂がこぼれ落ちるように時が走り去っていくのであろうか」あまりにも人生の短さ、残り時間の少なさに気づき愕然と呆然として恐怖感さえ覚えます。もっと時間を大切に丁寧に扱えばよかったのではと思う春の宵です。

 でも、今世紀最大の哲学者といわれているマルティン・ブーバーは、晩年にこんなに素晴らしい、希望の言葉を残しているのです。やっぱり人生捨てたものではありませんね。

 「老いることはまた楽しいものだ。ただし創造することを忘れさえしなければ」

 体力や気力が衰えるのは自然の摂理ですが、好奇心を持って、生きがいを見出し生きていれば、頭を働かせ、身体を使って何か少しでも役立つことを見つけ毎日を生きていれば、心の若さ、創造への意欲に満ちてくるかもしれません。

 その一方で、超高齢化社会を迎えた日本では、生きがいをなくした孤独な老人たちの自殺が大きな社会問題になっているといわれています。このような話題を見聞きするたび、複雑な気持ちで胸が一杯になります。

 ブーゲンビリアのお仲間たちの中にも「もっと生きたい!! 普通の暮らしがしたい!! せめて子どもが中学生になるまでそばにいたい!!」その夢も願いもうち砕かれ旅立って逝った仲間を見送るたびに人生の不条理に直面してきました。
「せっかく乳がんになったのだから…」ブーゲンビリアの合言葉でもあります。

 一足先に天国に逝ったお仲間たちの分まで、幸せのキーワードの「明朗・愛和・喜働」を道連れに、元気に! 朗らかに! 仲良く! お役に立つ喜びに満ちて! 生き抜いていきたいと思います。

 創造性とは創造力にあふれた文化遺産や芸術や学問のような、特別な才能をもっている偉人たちが、何かを創りだすことばかりではなく、普通の平凡な私たち誰でもが日常生活や人間生活の中から、様々な領域に見出すことができる創意工夫もあるのだと…。

 米国の高名な心理学者のアブラハム・マズロー、「自己実現」でお馴染みのマズローが卓越した見解を示していたことが思い出されるのではないでしょうか。

 自己実現の創造性を身に付けるためにはどうしたらいいのでしょうか…。子供のように外界をあるがままに受容し、あるがままに表現することによって可能になるのでしょうか…。自己表現の創造性は結果ではなく、創意工夫の過程が大切ということなのでしょうか。

 老いることをあるがまま受け入れ、普通の暮らしの中から、あるがままの自分を受け入れ、あるがままの自分を表現していく、素直な気持ちが大切ということでしょうか。

 「一日一笑・一日一生」そんな生き方のお手本を見習えばいいのですね。

    今日はまたと廻ってこない。
    今日のほかに人生はない。
    今日は光明に輝き希望にみちみちた最良の一日。
    今日しなければ再びする日はない。
    人の一生は今日の連続であり、一日は今の一秒の集積である。
    今を失う者は、一日を失う者、一生を棒に振る人。
    今やらないで、いつやるのか。  時間哲学の結晶、珠玉のことばより

 春の花に負けないくらい、とびっきりの笑顔で、心ゆくまで春を楽しんでみてはいかがでしょうか。