♪ブーゲンビリア第58号(通巻125号)2009年10月号より

 芸術の秋・スポーツの秋・読書の秋・食欲の秋・実りの秋・もの想う秋の到来です。
皆様は秋晴れの空のもと、どんな秋を満喫されていらっしゃるのでしょうか。
          
 人生の時間を4つに分ける古代インドの「四住期」という考え方があるのは今や定説となっていますが、4つの時期にわけると50歳から75歳は「秋・林住期・白秋」となります。7月4日に還暦を迎えたばかりの私は、今、林住期の真っ只中を生きているということになるのでしょうか。
 林住期の定義は「本来の自己を生かす・自分をみつめる・心のなかで求めていた生き方ができる時」です。又「真の人生のクライマックスと考え、自分の人生の黄金期として開花させるために俗世間の掟に縛られない精神の自由を謳歌する時間を手に入れる時」です。
 家族・世間・組織・金銭のためではなく、本当に自分がしたいことをする時期であり、それが許されるのが黄金林住期であると記されています。

 還暦後の人生は老いとの取引ばかりで、もう人生のメインディシュが終わり、食後のデザートを待つような気分なのだろうか、情熱を傾けるものが無くなり、空の巣症候群状態におちいるのだろうか・・・・と、私自身ネガティブなイメージばかりが先行していました。 ところがこころのあり方、持ちようで、豊で、楽しく、幸せな老後の時間を手に入れている人生の達人が見近にたくさんいらっしゃることに気がつきました。私なりに感じた幸せな老後の生きるヒント、キーワードをご披露させていただきます。

 「生きがいの再発見・無償の働き・人様を喜ばせる・気楽に暮らす・明朗第一・笑顔一番・チャレンジ精神旺盛・肩書きを捨てる勇気・こころのハリをもつ・社会との関係を持つ・ないものねだりをしない・健康であればいい・お礼はお手紙で・適度なおせっかいをやく・・・。
 妻にひたすら感謝・やさしい言葉で表現する・感謝の思いを表現する・すなおなこころ」等です。

 「老人は国の宝」今日の社会を打ち立てた恩人であり、文化を創り出した功労者、伝承者です。老いることは自然の摂理、老人を大切にする家は、家に高雅な風格と品位が備わり、家の威信を増し、これによって外からの災いが付け入るすきがなくなります。
 「老人は家の守り神として幸福のシンボルとして大事な存在」です。そんな言葉の中に秘められた老人から学ぶ日本の美しいやさしい日常生活を大事にしたいと思います。
 その一方で、過酷な社会の中にあって、私たちは「こころの自由」を、やさしい生活を手に入れることが果たしてできるのでしょうか。
 「親の介護・連れ合いの健康不安・病気・がん再発・子育て教育・孫の世話・親との別離・友人知人との別れ・死の恐怖感・老後への不安・孤独観との戦い」など、など・・・そしてどの問題解決にも、経済の裏付けが必須条件で、個人の努力や能力だけでは解決しきれない問題が山積みとなって立ちはだかっています。
 「こころの自由を求めることと」と「老いること・孤独と向き合うこと」とは平行線や対立軸ではなく・・・想像のつばさを広げてみると・・・がん闘病と同じく、共存・共生していくことができる関係なのではないでしょうか。

 私自身は、いつも忙しさにかまけ、ついついスピードや効率最優先の消費生活を繰り返しています。・・・「もっと丁寧な暮らしがしたい」・・その昔、日常生活がゆったり回っていた時代の、母のなにげないお年寄り寄せるあたたかな言動が懐かしく思い出されます。 恥をさらすようですが・・不出来な娘の私は・・いつも自分の世界に夢中で、老いてきた親の不安や孤独に無関心でした。否、気付かない振りをしていたのかもしれません・・・・。そんな私でも結婚後、何とか人並みに両親と暮らし、泣いたり、笑ったり、看病の真似事をし、両親を看取ることが出来、ありがたいことでした。・・・夫の情愛のお陰でした。

 「秋の暮れはつるべ落し」の言葉のように、晩秋や秋の日暮れはどことなく心細く・・・あっという間に人生の時間も過ぎ去ってしまいそうな言い知れぬ不安を感じます。 
でも、老いから目を背けるのではなく、今まで精一杯生きてきた自分を信じて勇気を出して豊かな老いの扉を、孤独の扉を開けていきましょう。
 老いと向き合った寂しさゆえ、凛とした美しい秋に出会えることでしょう。
 長月・菊月・紅葉月・観月会・芋月・十五夜・十三夜・二夜月・笑栗・虚栗・秋の暮れ・朝寒・寒露・晩秋など等・・・。こころが疲れた秋の夜長に声にだして味わってみませんか。

    この道や行く人なしに秋の暮れ   蕪村
    去年より又淋しいぞ秋のくれ    中村 草田男
    はたとわが妻とゆき逢う秋の暮れ  加藤 楸邨
    秋の暮れ大魚の骨を海が引く    西東 三鬼

 それぞれの句に人生のたそがれや光とかげり、老いへの不安、孤独の情景が身に染み入るのも晩秋のせいだけではないかもしれません。

 林住期がすぎ去り、いよいよ人生の最終章の「遊行期・玄冬」が訪れます。
自然のめぐりに狂いがないように、誰でも順番にやってくる人生の冬・遊行期・玄冬です。
 自己受容とは他者受容・・・こころ静かに時間をうけいれていきたいものですね。

 老人とは、孤独と道連れに悠久の歳月をかけて一つの乱れもなく脈々と受けつがれてきた「いのちのながれ」の生き証人です。
 いのちの源流である親やご先祖さんと私たちは「がん・病気・老い・孤独・不安・悲しみ」の時空を乗り越え「喜び・希望・夢・愛」でつながっているのです。そして次の世代へと「いのちのバトン」が、今日もどこかで確実に渡されつづけているのです。
 「親2人・・祖父母4人・・曾父母8人・・・・と遡っていくと、10代目で1024人・・・20代目では100万人を越える」そうです。夜空に燦然と輝く星の数にもまけないほどの輝きを放ち「いのち」が繋がり輝いているのです。
 その長い線上の一点に縁あって、自分が存在していること、縁あって「いのち」がつながっていることを想うと、ありがたく、ただ只、感動と感謝の気持ちで一杯になります。

 時には秋の夜空を仰いで、満天の星に語りかけてみてはいかがでしょうか。
もしかしたらすぐそばに、「こころの自由・いのち・愛・希望・夢」の輝きの答えがあるのかもしれませんね。